ヨガで考える幸せと、多くの方が感じる『幸せ』は少し違いがあって面白いので
ご紹介していきますね。
目次
みなさんは『幸せだな〜』と感じるのはどんなときですか?
「恋人と一緒にいるとき」ですか?
「美味しいものを食べているとき」ですか?
「ボーナスがたくさんでたとき」ですか?
うんうん。どれも幸せですよね〜。気分も上々で心もウキウキになります。
ですが、考えてみてください。
「恋人がいなくなったとき」
「もう美味しいものが食べられなくなったとき」
「お金がすべてなくなったとき」
どうでしょうか。途端に幸せではなくなってしまいませんか?
気分もドーンと落ち込み、ひどい時は、なにもやる気が起きなくなってしまいます。
変化するものに幸せを追い求めても、長くは続きません。
ヨガでは、変わらないものの中に幸せを求めます。
変わらないものといえば以前にも書いた

お馬さんに幸せを求めてもしょうがないんです。
こんなお話があります。
『老女と落とした針』
一人の若い旅人が小さな村を通りかかりました。粗末な小さな小屋の前で、一人の老女が、一生懸命曲がった腰を更に丸めて何かを探しています。
旅人は不憫に思い言いました。
「おばあさん、何をお探しですか?よかったら私もお手伝いいたしましょう。」
すると老女は
「ああ親切な旅のお方、実はたった一本しかない針を落としてしまったのです。私はもう体もあまり動かないし、目もあまり見えない、縫い物をして日々を食いつないでいる毎日です。その針がないと明日からどうやって生きていけばよいのでしょう。どうか一緒に探すのを手伝ってください」
若者は、そういうことならと一生懸命たった1本の針を探しましたが、小屋の周りをすべて探し尽くしたのにいっこうに見つかりません。陽もそろそろ暮れかけてきたので
「おばあさん、小屋の周りはすべて探しましたが、さっぱりみつかりません。どこでその針を落とされたのですか?覚えていたら教えてください。暗くなる前にもう一度探してみましょう。」
と言いました。すると老女は
「針を落としたのは小屋の中です、旅の人。貧しい小屋の中には蝋燭もなくてとても暗い、暗がりで針を探すよりは、もしかしたら小屋の外に誰か針を落としてはいないかと思って探していました。」
ギャーナ・ヨーガより
このお話、どう思います?
「落としていない場所で、探し物をするなんてありえない!そんなの見つかるわけがない!」
そう思いますよね。本当にその通りなんです。
でも
多くの人が小屋の外で探しているんです。
どういうことかと思うでしょう?
では、部屋の中を心の中、部屋の周りを心の外、針を幸せ
と考えてみるとわかりやすいと思います。
多くの人は、明るくて見つけやすいと思われる、心の外側に幸せを見つけようとしているんです。
でも、そこに針は落ちていません。
でも、暗い部屋の中で針を見つけるのは大変!
そうなんですよ。
探しにくいといっても限度があります。
真っ暗な部屋の中で、針を探すなんてほぼ不可能か、運に任せるしかありません。
「心の中に幸せを見つけるのは、ほぼ不可能」なのか?
決してそうではないんです。
もう、気付いている方も多くいると思いますが
部屋が暗かったら、火を灯せばいい
たったそれだけなんです。

この火とは、ヨガの智慧のこと。
ヨガを学んでいけば、心の中に幸せを見つけられます。
もしかしたら、すぐそこにあるかもしれませんね。
童話の「青い鳥」みたいですね。