日常にヨガを取り入れてみませんか?

すべての行いには結果が付いてくる?カルマヨガについて

(※ヨガには輪廻転生の思想がありますので、それを元に書いていきますね。)

カルマという言葉は、サンスクリット語の”する”を意味するクリ(kri)から出ています。すべての行為がカルマということになります。カルマ=行為の結果を意味することもあります。

カルマ・ヨガでは、カルマという言葉は単に”働き”と意味し、働きのヨガとも呼ばれています。

行動するとそこには必ず反作用(結果)がでてきます。

今、起っている出来事は、過去の行為の結果になるのです。

いい行為はいい結果を、悪い行為は悪い結果をもたらします。

 

必ずあなたに戻ってきます。

行為の反作用は”必ず”ついてきます。反作用を浄化させずになくなることはありません。現世で浄化できなかったカルマは来世にも現れてきます。

なので、今、生まれているということは、それ以前の行為の反作用を浄化するためだと言えます。

ヨーガスートラにこんな解説がありました。

カルマには三種類ある。

現世で発現して使いつくされつつある”プラーラブダ・カルマ”。現世で新たにつくり出されつつある”アーガミー・カルマ”。未来の生で遂行されるべくカルマ・アーシャヤ(カルマの器)の中で待っている”サンジタ・カルマ”。

これらは、弓を射る人の手回り品にどこか似ている。

彼の矢筒の中にはたくさんの矢がある。そして、もしも彼が名人なら、矢を一本取って矢につがえ、ねらって放ったらすかさず次の矢を取ってつがえることができる。その瞬間、矢は三つの位置にある。

一本目はすでに弓を離れて進みつつある。それはどうすることもできない。止めることも戻すこともできない。それが現生をひき起こしたプラーラブダ・カルマである。

二本目の、つがえてねらっている矢は、人が一瞬ごとに新しくつくり出すカルマに似ている。それは完全な制御下にある。そして、矢筒はカルマ・アーシャヤを象徴している。

そして、その中にある矢は、もしそうしたければ抜き出してねらい定めることができるし、でなければ抜き捨てることもできる。それはまったく意のままだ。それがサンジタ・カルマである。

もうすでに行為を行ってしまったら、解き放たれた矢のように、もうどうすることもできないのです。

なんだかちょっとこわいですね。

 

行動を起こさなければカルマ(反作用)は起こらない?

では、こう考えてみましょう。

  • 「何も行動しなかったら悪いこともおきないんじゃない?なるべく動かないようにしよう」
  • 「じゃあ嫌なことはしないで、楽しいことだけしてればいいじゃない」

本当にそうでしょうか。

確かに、カルマ=行為の反作用なので、行為をしなければ反作用は起きません。

ですが、上記に挙げたようにカルマの浄化もできないんです。

起ってしまったカルマからは逃げられません。

次も、嫌なことに関わりたくないといって逃げていても、その反作用から逃げることはできないんですね。

でも、これは私が考えることなのですが

本当に辛く、苦しいのであれば、そのカルマ(反作用)からは逃げてもいいと思います(死なない程度に)。申し上げた通り、逃げても必ず現れます。

また、再び現れたとき、それを上手に浄化させることができるように、準備をすればいいんです。人は成長できますよね。

解き放たれた矢は、変えられませんが、今から準備する矢は変えることはできます。

 

善いカルマ(反作用)が巡ってくるために

カルマは、善業に起因するものは楽、悪業に起因するものは苦として結実〔業報〕する。

善いことをすれば、幸と楽を味わえるし、悪いことをすれば苦を味わうことになります。

ですが、ここで勘違いしてほしくないのは、善いことといっても、ボランティア活動を積極的に行ったり、募金をたくさんおこなったり、そういう行いではないということ。(もちろん、ボランティア活動や募金は素晴らしいことです。)

それよりも大切なことは、

自分のエゴからの行動をしないこと」「結果に執着しないこと

なんですよ。いくら周りから見えて”善い行い”をしたところで、動機にエゴがあれば、そのカルマは返ってきて、あなたを苦しめることになります。

ですが、自分のエゴからでなく、相手のためを思い、執着しない行為をどんどん行っていけば、必ず善いカルマとして戻ってきます。

自分の人生です。今が不幸だと思うなら、自分がそうした結果なんです。

だれの責任でもありません。そして、それを浄化させるのも自分なんです。

そう考えると、なんだか面白くなりませんか?

善い行いをすれば、善い人生になっていくんですよ。

たっくさん善いカルマを作っていきましょう♪