杜子春を読んだとき、「これは、この前ニケタン(ヨガの学校)で習ったアレだ!」と、思ったことを思い出したのでご紹介していきます。
ネタバレ(?)というのが嫌な方、まだ読んでなく先に読んでみたい方は、こちらをどうぞ。短いのでサクサク読みやすいですよ。
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まずは、簡単なあらすじから
目次
舞台は唐の都洛陽、門の下にぼんやりと空を仰いでいる、一人の若者がいました。元はお金持ちの息子でしたが、散財し今は一文無しで、その日の暮らしにも困るくらいになっていました。この若者が”杜子春”です。
「いっそ川へでも身を投げて、死んでしまおうか」
そういう思いを巡らせていると、どこからか老人があらわれ
「夕日の光の中に立ち、お前の影の頭のところを夜中に掘るように」
と言って立ち去って行きました。怪しいと思いながらも言われた通り掘ると、地面から黄金がでてきたのです。
杜子春は1日のうちに、都一の大金持ちになりました。今までは挨拶さえしなかった友だちなどが、朝夕やってきました。
ですが杜子春は、すぐに散財し遊び尽くし、一年、二年と経つ内にだんだん貧乏にになっていきました。
貧乏になりだすと、毎日に来ていた来客も来なくなり、挨拶一つしていきません。そして、ついにはまた無一文になってしまいます。
無一文になると、杜子春に碗1杯の水も、恵んでくれるものはいなくなりました。
そして、また杜子春は門の下に戻り、また、ぼんやり空を眺めていると、またあの老人が現れ、また黄金の場所を教えてくれました。
また、都一の大金持ちになりましたが、相変わらずな杜子春は、また無一文になり、門の下でぼんやりしていました。
そして、三度杜子春の前に老人が現れ、黄金の場所を言おうとすると杜子春は
「もう、お金はいらないのです。人間というものに愛想がつきました。」
「あなたの弟子にしてください」
といいました。この老人、実は仙人で、杜子春はそれを見抜いていたのです。
仙人と杜子春は、山の中の深い谷に臨んだ、幅広い一枚岩の上に行きました。
「おれが帰ってくるまで、絶対になにがあっても、一言も口を利かないように、口を利いたら到底仙人にはなれないものだと覚悟しろ」
と言って、天上へ行ってしまいました。
仙人が行ってから、いろんな魔性が現れますが、杜子春は眉毛ひとつも動かさずに坐っていました。
虎と蛇も現れますが、一言も口を利きませんでした。
そこへ、金の鎧を着下した厳かな神将が現れ、一突きに杜子春を突き殺し、杜子春の魂は地獄の底へ下りて行きました。それでも杜子春は一言も口を利きませんでした。
地獄で杜子春の前に閻魔大王が現れ、ありとあらゆる責苦に遭わされますが、杜子春は一言も口を利きませんでした。
何をしても杜子春が口を利かないので、閻魔大王は杜子春の父と母を連れてきました。そして杜子春の目の前で鉄の鞭を打ち始めます。
杜子春は必死になって、かたく目をつぶって口を利かないように耐えていました。
すると、彼の耳にかすかな声が伝わってきました。
心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王がなんとおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで。
懐かしい母の声に杜子春は思わず目を開き
「お母さん」
と、一言叫びました。
その声に気がついてみると、そこは、いつもの門の下でぼんやりと佇んでいました。あの山に行く前と同じままです。
口を利いた杜子春は、仙人にはなれません。
ですが、杜子春は仙人にこう言います。
なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、かえって嬉しい気がするのです。
「お前はこれから後、何になったら好いと思うな」
という仙人の問いに
「何になっても人間らしい、正直な暮らしをするつもりです。」
と、答えました。
そして仙人は
「その言葉を忘れるなよ。おれは今日限り、二度とお前には遇わない」
と、歩き出していきました。
私が今まで、書いてきた中でも、大きく分けて2点通じるところがあると思います。
- どこに幸せ求めるのか?感覚器官の満足では満たされない。
- 自己の基盤を見つけること
まず、どこに幸せを求めるのか。

ここでも書いたように、お金持ちになっても幸せだと思う感覚は、長く続かないのです。
杜子春も最後は「お金はいらない」と言っていますが、そこに求めるものはないと気付いたのだと思います。
外側だけで集まってきた人も、いずれはいなくなるのです。
杜子春は最後なぜ、仙人になれなくても嬉しいと思えたのか。

ここからは私の思ったことです。
ここでも書いたように、杜子春は母の言葉で、確かな愛に気付いたのではないかと思います。どんな状況であろうと変わらない本物の愛。
その愛を確信したからこそ、自分の基盤を見つけることができ、どんな状況であろうと、人間らしく暮らしていける、自信に繋がっていたのではないかと思います。
これを読んで、仙人は、杜子春を仙人にさせる気は、最初からなかったんじゃないかなと思いました。
もしくは、杜子春に仙人の器はまだないことを見抜いていたのですかね。
小説「杜子春」の最後の一節がとても好きなのですが、ここでは書かないでおきました。